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ありのままの姿で生きるということ。 その4

■2016/01/13 ありのままの姿で生きるということ。 その4



みなさま、ごきげんよう。

あなたののぶゑでございます。❤❤❤❤

前回のブログでは 宗教の話をしました。

あの時代は本当に激動の時代だったから ほとんど記憶がない・・・・。

苦しかった記憶しかないの。

今の現状から どう抜け出すのか。

抜け出せないのだったら 人生をどう捨てるか。(自殺)・・・しきらんけど(www)


そんなことばっかり考えていた。

あの時は本当に辛かった。

睡眠時間も 極端に少なかったし。
借金で毎月 どうやって暮らしていたんだろうと
おもうような生活だったから・・・・。


そんな中 組織を抜けることを決意して

行動を起こし。

私が何をしたのか・・・・。

組織をやめ、転職をした、いままでの人脈も一度
全部整理をしたの。

私は 新しい職場は

兄の店 飲食店だった。

そこで 改めて 「働く」 「尽くす」 ということを 教わったようなきがする。

私にとっては 原点となる 店である。

現在も兄には本当にお世話になっているのだが、

当時、私が 前職をやめるまで

私が 精神的におかしくなり、アパートまで駆けつけてくれたこともあった。


その時は 本当に 私が おかしかったのだとおもう。

もし、その時に病院に言っていたら
精神疾患の病名を言い渡されていたかもしれない。

病院にはその後かかっていないので
正確なところはワカラナイけどね~。


あの時

私は 何を思ったのか
支離滅裂・罵詈雑言の内容のメールを
母に送り続けて ありえないくらいの
量を送っていた。

宮崎に住む 母から 電話がなる。
でも私は 電話に出ない。


出れないのだ。 なぜなら 怖いから。

母が 怖い のではなく。
ただただ漠然と恐怖が襲ってくるから
怖くて仕方ない

電話に出れるはずがないの

当時は全てがおかしかった。


母がそんな状態であることは 知る由もない。

連絡なんてほとんどしないのだから。

でも そこは 母である。

おかしくなってることには気づくわけです。
それも、相当感じていたようです。

当時のことを母に聞くと。
「心臓がばくばくしてお母さんの方が
死んじゃうんではないか」とおもうくらいに
苦しかった。

だから 兄に連絡したのだそうな。


兄は 当然仕事中ですから 終わってからの 訪問。
でも兄からすると

ちんぷんかんぷんだったはず。

突然母から電話があって
「のぶくんがおかしくなってるから部屋まで
見に行って!」

と連絡があったのだ。
意味がわかんないよね~。
当然。

でも 兄も その母の緊迫した声に反応し、

私の部屋に来たのは
夜中の1時ぐらいだったとおもう。


私は 怖くて怖くて、
ソファーの裏に隠れるように 寝てたの。

突然。玄関の呼び鈴がなる。

ピンポーン。ピンポーン。

ずっーーーーーとなってる

ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。
ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。
ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。
ピンポーン。

これが 本当に怖かった。

夜中にピンポンが ずっとなってるの。

怖かった。

兄の声がして

「のぶ!開けんか!!」

って言われて ホッとするどころか
もっと怖くなた。怒られる!。絶対嫌だ!。
こんな状態で会えば また怒られる!。

私は 小さい時から 弱い子 根性のない子
ナヨナヨしてる子。って言われて育ったから。

こんな状態絶対に見せれない。
怖くて無理だった。


程なくして。

ピンポンが 止んだ・・・・・。

帰った・・・・・。よかった・・・・。と思った。


でも。すぐに事態が大変なことになってることに
私は 気づいた。


玄関が ガチャガチャ ガチャガチャ。
と言い始めて。

玄関が開く音がした。

意味がわからなかった。

怖くて ソファーの後ろでうずくまっていた。

兄から 抱えられ

「どうしたとか・・・・。心配したとぞ・・・・。」


と言われた時から

記憶がない・・・・・。


ここの部分は兄に聞かないとわからないが 私にはまだ 聞く勇気がない。

ちなみに 兄がなぜ玄関を開けれたかというと。

1階にすむ 大家さんを 緊急事態だと
叩き起こして マスターキーをもらって
開けたらしいです。


私は 翌日 会社帰りに 兄の家に行かないといけなくなり。

そこには 母が 宮崎から来ていて 話し合いを
しなければならなくなってました。

最初は何を話していいのかわからなくって じっと黙っていたように記憶しています。

どちらから話始めたのかは覚えていませんが。

少しずつ話はじめ 最後は 泣きながら
話をしていました。


小さい時からの話。

母に対する 恨み辛み嫉み。全部言った。


あなたに認められたくて 私なりに
必死で やっていたこと。

でも 母が求めるものではなかったのか
一度も認めてもらえなかった。
認めてもらえてないことにしか記憶がない。こと。

全部 伝えた。


母。からは

「あなたがそんなに 苦しい思いをしていたなんて知らなかった。本当にごめんね。お母さんは
あなたのことが心配で心配で 厳しいことも言っていたけど。そんなつもりは一切なかったの。
本当に許してね。」

こう言われた。

この時。

ほんの少し。心が軽くなったのを覚えている。


それから程なくして 幼少期から高校生までの

母が 私にくれた 小さくとも大きな愛情があった
ことを記憶の中に思い出すことが

増えていくの。

私は 小学校の時から

母の着物姿が大好きだった。

だから。参観日には 着物で来て欲しいと
おねだりしていた。

母の着物の参観日は学生時代全部だった。 母は何も言わなくとも それを守ってくれていた。

高校の時には 行事ことでも必ず着物で来てくれた。

仕事が忙しく 本当にめまぐるしい
毎日を送っているのに。

また、 高校のお弁当も 毎日欠かさず
作ってくれた。

それは 見た目は 決して良いものではない。

エビフライに卵焼きに肉を焼いたんに。ふりかけ。みたいな。全部 茶色~!。みたいなおべんとう。

でも、母の仕事は 帰宅が 当時で 夜中の3時4時、 ちょっと寝て 朝7時には起きてお弁当作ってくれていた。


母はできる限りの愛情を。できる限りの力で
注いでくれてたことを

思い出していったわ。

それでも

自分がゲイであることや、いま 自分が こんな生活をしていることを

どこかで 母のせいにし、その時も逃げようとしていた。

でも。

愛情を少しずつ 取り戻そうとしている。

母に恩返しをしたいと思いだしている


次の仕事は 一生の仕事にし、
母を安心させて 行こう。


と決意をするのです。


そのあとの職が アパレルの最後の職となるのです。ここからは 派遣でのブランド勤め。
正社員で入った最後の職。

続く

皆さまのこと本当に
愛していますわよ!。


御逢いできる事をからワクワクして待っていますわよ~!。

想いきって問い合わせをしてみてください!!。 怖くないわ~~~~!。大丈夫よ~!。

必ず心がユックリとなっていく事を御約束します。

勇気の一歩があなたがあなたの世界を変える!。

楽しみに来てくださいね~~。




愛してます・ごめんなさい・許してください・ありがとう。
あなたの為に。
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